終活の総合相談及びその支援

お墓の紹介

ご希望の地域・ご予算・宗派等をお知らせいただければ出来る限りご要望にそったお墓・納骨堂・永代供養墓等をご紹介いたします。
圓明院

圓明院

箕輪(今の千葉県君津市箕輪)には平安中期から安土桃山時代にかけて関東第一と謳われた「入定寺」という修験道場がありました。
当院はこの「入定寺」の末寺の一つとされています。
開創は鎌倉時代の初期と伝えられています。
戦国時代に興隆を誇っていた「入定寺」も北条氏に加担したことで没落を余儀なくされ、当山もその難を逃れることが出来ず一時は無住となりました。
再興は江戸享保年間、船塚山より秋葉権現を勧請し、一千座の護摩を修することで、その威徳を世に広める一役を担ったのです。
そして時代の変遷を経て、平成元年より七ヶ年計画で境内整備が進められ、「永代供養墓地」「大梵鐘」「沙羅観音納骨堂」「総菩提五輪塔」などが、関東有数の規模で建立されました。
妙泉寺

妙泉寺

妙泉寺は日蓮宗の寺院で、常谷山と号します。
江戸時代には谷河内村に属しており、千葉県松戸市平賀にある本土寺の末寺でした。
開基は名主をつとめていた長左衛門と伝えられ、正善院日喜上人によって寛永十一年(一六三四)に開かれました。
弘化三年(一八四六)六月の火災では当寺が所蔵していた多くの記録が焼失し、安政の大地震及び大正六年の水害でも、被害にあいました。
本堂は明治十五年に再建し、書院庫裡は昭和四十五年に新築されました。
境内には稲荷堂(八角堂)があり、安宅丸御玉稲荷大明神がまつられています。
これは徳川三代将軍家光が建造した御座船・安宅丸に勧請した船玉で、同船が取り払いになった際、当寺がゆずり受けました。 船玉とは船中にまつる守護神のことを言います。
竺園寺

竺園寺

創建は南北朝の頃、竺園寺の北方、堀之内の石井氏が開基です。
石井氏は、国分氏の一支族であり、堀之内の城主でした。
石井氏は、城の近くに堂宇(神仏を祭ったりする大きな建物)を建て、禅密兼修である栄西禅師の系統の僧を住まわせました。
その後に、関東十刹の竹園山法泉寺より、千葉東氏の出自の喜州和尚が招かれて、石井山竺園寺と称することとなります。
十一面観世音菩薩坐像を御本尊として鎌倉末より南北朝動乱で亡くなられた一族並びに家臣や部下の菩提を弔ったのです。
いつごろ竺園寺が現在の国分に建立されたかは定かではありませんが、歴代住持のお位牌から読み取ると安土桃山期と考えられます。

現在は、京都紫野大徳寺派の末寺となり、昔の寺域は禅照庵として名称だけが残されております。

また観音堂は、境内の竹藪の中腹に建てられておりましたが、石井重太郎氏の寄進により現在のところに再建され圓通堂と称しております。
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